「日本」という国号の成立時期は、7世紀後半から8世紀初頭までの間と考えられている。この頃の東アジアは、618年に成立した唐が勢力を拡大し、周辺諸国に強い影響を及ぼしていた。
倭国も、それまでの遣隋使をあらためた遣唐使を送って、唐との外交関係を深めていた。朝鮮半島では、唐との連携を強めた新羅が急伸し、663年には唐・新羅連合軍と百済・倭国連合軍との間で白村江の戦いが起きた。
この戦いに敗北した百済は滅亡し、倭国は国内統治体制と防衛体制の整備を推進した。
その後、672年に起きた壬申の乱を経て、強い権力を握った天武天皇は、天皇中心の国制構築をさらに進めた。
それは主として律令制の導入という形で進められ、689年に頒布された飛鳥浄御原令に始まり、701年(大宝元年)の大宝律令成立で一応完成した。
倭国も、それまでの遣隋使をあらためた遣唐使を送って、唐との外交関係を深めていた。朝鮮半島では、唐との連携を強めた新羅が急伸し、663年には唐・新羅連合軍と百済・倭国連合軍との間で白村江の戦いが起きた。
この戦いに敗北した百済は滅亡し、倭国は国内統治体制と防衛体制の整備を推進した。
その後、672年に起きた壬申の乱を経て、強い権力を握った天武天皇は、天皇中心の国制構築をさらに進めた。
それは主として律令制の導入という形で進められ、689年に頒布された飛鳥浄御原令に始まり、701年(大宝元年)の大宝律令成立で一応完成した。
政治は、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)に施行された日本国憲法を最高法規として行われる。
統治機構は、立法権を国会、司法権を裁判所、行政権を内閣に分配する三権分立制を採る。
また行政権を有する内閣が立法権を有する国会の信任に拠って存在する議院内閣制を採用している。
国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を憲法の三大原理とし、その根本にある個人の尊重(個人の尊厳)を基調とする。
また、憲法に元首の定めはないものの、世襲である天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(1条)として、元首またはそれに準じた地位に置く。
古来から日本で暮らしてきた人々は、日本民族(大和民族)と呼ばれ、日本に住む者のほとんどを占める。
またアイヌが北海道の先住民族として政府から認定されている。外国人と帰化人が200万人程、在住している。
全土で日本語が話されており、事実上、唯一の国語である。
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